■
十字架を軸とする
みことば Ⅰペテロ2:18-25
わたしたちの信仰生活には定められたコースがあり、順境だけでなく苦難のコースもあります。主の十字架の足跡に従うように召されており、それは十字架を基軸とすることです。
①義とされた者として。
主は、十字架にかかってわたしたちの罪を担ってくださいました。罪に死に義に生きるためであり、罪を担っていただいた者として生きるべきです。
②癒された者として。
主は、わたしたちの罪のために顔かたちを失うほどに傷ついてくださいました。それほどに愛された者にふさわしく、価値ある者として生きましょう。
③回復された者として。
わたしたちは迷い出た羊のようで、滅びに向かっていましたが、主は捜し出し、自分の羊として受け入れてくださいました。
(説教者 : 北尾 欣三 師)