2021-06-13

平和を作る人
みことば マタイ5:9


 平和は大変に尊いです。平和とは争いが全くない状態です。主は「平和つくるものは…神の子どもと呼ばれる」と教えられました。神が平和を造られるからです。
1.神と人との間に。
 へブル語で平和は「シャローム」であり、平和の源である神が共におられる祝福を表す言葉です。神は御子イエス様の十字架の犠牲によって、神と人との間に本当の平和を造られました。
2.自分の中に。
 神との平和を得た人は、自分の内に罪との戦いにも勝利して平和を得ます。主の十字架の救いによる赦しの確信と、神への愛によって罪の誘惑に勝利する力が与えられます。
3.人と人との間に。
 神との平和を得た人は、同じように他の人を赦し、受け入れ、愛して、自分と周囲の人との間に平和を実現します。また、人々の平和のために神に祈ることで、平和を造るために働きます。

(説教者:山本 敬夫 師)

2021-06-06

心のきよい人
みことば マタイ5:8


 神は私たちが清く生きることを願われています(レビ19:2)。そのため、父なる神は、御子イエス様の十字架の血によって私たちをきよくしてくださります。
1.心のきよさ。
 きよさは道徳的、性的なきよさに限定していません。心を尽くして神を愛し(申命記6:5)、二心ない忠誠心で神を愛することです。主の十字架の愛によって、人は純粋に神を愛する人に変わります。
2.きよさを求める。
 心のきよい人は、内面のきよさと生き方が一致することを追い求められます。金銭や地位や名誉や性などの誘惑が多い世界で、きよく生きることを追い求める人を、神はきよくしてくださいます。
3.神を見る。
 純粋に神を愛する人は、どのような状況でも、共におられる主を見上げて感謝して喜びます。やがて御国で主に会えることを確信して、さらに喜びに満たされます。心のきよい人は幸いです。

(説教者:山本 敬夫 師)

憐れみ深い人
みことば マタイ5:7


 聖書が教える「憐れみ」は、同情よりも「赦し」に重点が置かれています。そして、神の憐れみを知った人は、憐れみ深い人に造り変えられます。。

1.憐れみ深い神。

神は罪を犯す人間を赦されます。旧約聖書では、数多く「あわれんでください」との祈りが記されています。そして神は人を憐れみ、罪を赦すために、愛する御子をこの世に遣わされました。

2.憐れみ深いイエス様。

 イエス様は罪を犯していなかったが、私たちの罪を赦すために十字架にかかって死んでくださりました。イエス様を救い主と信じる私たちの罪は完全に赦されています(ローマ5:9)。

3.憐れみ深い生活。

 私たちは神の憐れみを受けているので、他の人に対して心から赦すことができます。そして、神の御国で私たちは完全な憐れみを受けます(7)。

(説教者:山本敬夫 師)

聖霊による新創造
みことば テトス3:1~7


 今日はペンテコステ(聖霊降臨日)です。約二千年前に約束の聖霊が弟子達に降って教会が誕生しました。今も聖霊は働かれ、人々を新創造しています(5)。

1.罪の赦しの確信。

人は罪の奴隷でした(3)。しかし、神は御子イエス様の十字架の犠牲により、私たちの罪を精算してくださりました(4)。聖霊は、人に罪の赦しを確信させ、きよく生きるように導かれます(5)。

2.救いの確信。

 5節の「再生」は「新しく生まれる」、「刷新」は「全く新しい」の意味です。聖霊は人に神の愛を満たし、罪に勝利する新しい生活を実現します(5)。主は私たちに聖霊を注がれました(6)。

3.永遠の命の希望。

 さまざまな苦難を経験することがあっても、聖霊は私たちに主位エス様の恵みを思い起こさせ永遠の命の希望を抱いて生きるようにされます(7)。聖霊に満たされて、新しい人生を生きましょう。

(説教者:山本敬夫 師)

義に飢え乾く人
みことば マタイ5:6


エス様は「義に飢え乾く人は幸いです(6)」と教えられました。肉体は水分が不足すると死に至るように、人も魂の飢え乾きに気づかなければ永遠の死に至ります。

1.魂の渇きの原因。

人は命の源である神から離れているために命が絶たれて渇いています。その原因は罪です(イザヤ59:2)。聖書を基準に自分の心を調べるなら、罪に気づき、魂の渇きに気づくことができます。

2.神に満たしを求める。

多くの人は心の渇きを癒すために努力をしています。しかし魂を癒すことができるのは「義なる神」だけです。だから、神に魂の満たしを真剣に求めましょう(詩編42:1)。

3.満たされる神。

「満たす」とは食べ飽きるまで食べさせることで、神がそのように魂を神の義や愛や平安や聖霊で満たされます。主の十字架の救いを喜び感謝しましょう。そして、この世に福音を伝えましょう。

(説教者:山本敬夫 師)

柔和な人は幸い
みことば マタイ5:5


 主は「柔和な者は幸いです(5)」と教えられた。主がその人に約束の地を受け継がせてくださるからです。主は私たちが柔和な者になることを願っておられます。

1.神に信頼する人。

 聖書が教える柔和は、神に信頼する人に与えられます。主に信頼できない私たちのために、主は十字架にかかられて神の愛と真実を示された。主に信頼して問題を委ね、平安に満たされましょう。

2.苦しみを受け入れる人。

 柔和には、神に信頼して苦しい情況を受け入れるという意味があります。その人は困難や悲しみの中で神に信頼して希望や慰めをいただきます。自分が主の御手の中にいることを自覚しましょう。

3.取るに足らない人。

 ヘブル語の柔和には「取るに足らない」の意味があります。神の御子は、私たちを救うために「取るに足らない」人になって十字架にかかられました。そして私たちを柔和な人に変えてくださいます。

(説教者:山本敬夫 師)

悲しむ人は幸い
みことば マタイ5:4


 主は弟子たちに何が幸せであるかを教えられました。主は悲しむ者が幸いな理由を「神が慰められるからです(4)」と教えられました。主が教えられる悲しむ人は

1.罪を悲しむ。

 悲しむとは、打ちのめされるほどの悲しみです。私たちが罪を正しく知るなら、悲しみに打ちのめされます。そして十字架の救いに心からの喜びと感謝と慰めが与えられます。

2.無力さを悲しむ。

 ユダヤ人達はローマ帝国の圧政に、何もできない無力さを悲しんでいました。同じように、この世の悪に何もできない無力さを嘆き、ただ神に期待して訴える人を、神は心の底から慰められます。

3.希望を失って悲しむ。

 希望と思えるものも、永遠を基準にすると、本当の希望ではありません。自分には本当の希望がないことに気がついて悲しむ人に、神はキリストによる永遠の命の希望を与えられます。

(説教者:山本敬夫 師)